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大蓮寺(だいれんじ)は、京都市左京区にある浄土宗の寺院。山号は引接山。院号は極楽院。本尊は阿弥陀如来。開基は専蓮社深誉上人。後光明天皇が当寺に夫人の安産祈願を命じたことから、通称「安産祈願の寺」として知られる。本尊阿弥陀如来の他に札所本尊として十一面観音を安置し、洛陽三十三観音霊場第8番札所となっている。 また、明治から大正にかけて、18世住職で金戒光明寺65世法主芳井教岸の直弟子籏玄教(はたげんきょう)は「走り坊主」の通称で知られ、奇行や貧困層に対する施しは、京都名物として有名で、大正7年の新聞紙面で「今一休」とたたえられている。 ==歴史== この寺は、慶長5年(1600年)深誉が現在の京都市下京区に創建したのに始まる。 伝承によると、慶長5年のある日、深誉は伏見の地で金色に輝く阿弥陀如来を見出し、誰も供養する者がないことをもったいなく思い、持ち帰って五条に仏堂を建て安置した。 後に、この阿弥陀如来は真如堂(真正極楽寺)の阿弥陀如来であることがわかり返還することになる。残念に思った深誉が二十一日間の念仏を修したところ、最後の夜に旅の僧があらわれ共に念仏するが、次の朝には旅の僧の姿はなく、本尊阿弥陀如来が二体になっていた。 そのうちの一体を本尊として安置したのが大蓮寺であるという。 その後、後光明天皇の夫人である典侍庭田秀子が難産に苦しんでいたため、大蓮寺に安産祈願の勅命が下った。祈願の甲斐あって第一皇女の孝子内親王は無事出生。同内親王は大蓮寺を深く信仰し、後に髪を編んで名号として同寺に納めた。、後光明天皇の後は有栖川宮家がその意志を継ぐ。その縁で寺紋は有栖川宮紋。 明治初年の神仏分離に伴い廃寺となった祇園社(現在の八坂神社)観慶寺から薬師如来像などの仏像がこの寺に移されている。寺は当初は仏具屋通五条下る毘沙門町(京都市下京区、西洞院五条の交差点付近)にあったが、五条通の拡幅に伴い、昭和に入り現在の場所にあった常念寺に統合された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「大蓮寺 (京都市)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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